一生忘れることのできない言葉と出逢った 「独立自尊是修身」


大分県は中津市にある中津城の城下町。

 

福澤諭吉の旧居で、この言葉と出逢った。

 

"独立自尊是修身"

 

そして心に深く刻み込まれた・・・

 

福澤諭吉<1834-1901>

 

近代日本を代表する思想家・教育者、慶應義塾の創設者

 

■独立自尊是修身とは?

 

「心身の独立を全うし、自らその身を尊重して、人としてその品位をはずかしめない者、これを独立自尊の人という」(『修身要領』より)

 

旧居には「独立自尊是修身」の額が掲げられており、後の慶應義塾で編まれた「修身要領」には、個人の独立自尊、家族の独立自尊、社会人の独立自尊、国民の独立自尊、国家の独立自尊が条文として記されている。

 

修身要領1900年発表

門下の高弟数名をして編纂させたもの。全29条からなり「独立自尊」を根本理念として、家族はもとより、社会、国家、そして人類社会の一員としての道徳まで言及している。

 


個人として「独立自尊」であるためには、

 

第一に精神的に独立していること。

精神的な自立にはまず稚心を去り親の保護や与えられた境遇から自立すること。

 

第二に経済的に自立すること。

他者からの経済的支援を受けることなく生活できる収入を稼ぐこと。

 

第三に権力からも自立していること。

権力に影響されず、ときに権力に抗する力を持つこと。

 

人を頼りにするのではなく、自身の責任を引き受ける精神が根底になくてはいけない。

「独立自尊」の精神を持つことが、自らの尊厳となり、自らを修める根拠になる。

 

そのためには、まず「身を修めること」が必要である。

身を修めるためには日々の修学と鍛錬が必須で、継続するためには自身を律する掟をつくる。

この掟で自らを律し、日々に自省し、明日への決意を固めて、独立自尊の人となるよう説いている。

 


また、日々の修学については、封建的な身分制度を支える儒教思想を批判し、実証的な新しい学問の大切さを説いた学問のすすめ1872年-76年刊にも記されている。

 

かの有名な言葉「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず、と云へり・・・」がある。

 

人は皆、生まれたときは平等である、しかしながら、実際には賢い人と愚かな人、貧しい人と富んだ人、身分の高い人と低い人がいて雲泥の差がついている。

 

だからこそ、その不平等な差を埋めるために、また生まないためには、勉強して自分を磨き続けなければならないと学問の大切さを説いている。

 


"独立自尊是修身"

 

150年も昔の明治時代の言葉ではあるが、この令和の時代においても重要な指針を示すもので、とても深く考えさせられた。

 

ときはいま格差社会・・・

収入や財産などの要因により人間社会に階層化が生じ、その階層間の遷移が困難になってきている。

経済的、社会的地位が不平等になりつつあり、「勝ち組」や「負け組」の言葉も生まれだしている。「所得格差」に「教育格差」「地域格差」の問題もある。

 

福澤諭吉は、門閥制度(厳しい身分制度)と闘い続けた。

既成の権威を尊敬する封建社会では、個人の自由が無く、いかに歪んだ暗いものだったか・・・

 

人権の尊重、思想の自由、学問の独立、教育制度の民主化、男女平等の精神から女性の解放・女権の擁護を力説してきた彼の言葉には、現代にも通じることが多いといえる。

 

精神的にも経済的にも独立すること。

そして権力からも自立するためは、やはり自分磨きの勉強を続けることが大切なんだと、大人になったいま改めて痛感するものである。

 

"独立自尊是修身"

 

独立自尊の人でありたいと思う。


■福澤諭吉旧居

享和3年(1803年)築の木造茅葺平屋建で、諭吉が青年期を過ごした家。 


旅のはじまりはモーターサイクル。

 

自由への扉をひらこう。