心にのこる風景 薩埵峠(さったとうげ)


東海道五十三次之内 由比 薩埵嶺

歌川 広重 作

 

薩埵峠から見る富士山は、昔から絶景ポイントとして知られていました。

 

現在も当時の景観と重ね合わせることができるそうです。

 

 

■歌川 広重

歌川広重は江戸時代後期の寛政九年(1797年)に江戸の定火消同心の家に生まれました。15歳で歌川豊広の門下生になります。天保三年(1832年)35歳の時に職を子に譲り、絵師に専念しました。

 


由比宿~薩埵峠~興津宿

 

果たして当時の景観と重ね合わすことができるのか?

 

興津(おきつ)側から薩埵峠を目指しました。

駐車場にバイクを停め、案内板に従って墓地の中を通り抜け、丸太の階段を登り、山道を進んでいきます。

展望台までのコースタイムは1.0km30分とのこと。歩いて登っていきます。

数百メートルも進むと、一気に展望が広がります。

正面には富士山、右手には駿河湾、テンションが上がります。確かに絶景ポイントです!

 

 

■薩埵峠(さったとうげ)

 

「時代を超えて共有できる眺望景観」

 

薩埵峠は「東海道五十三次」の【16.由比宿】と【17.興津宿】の間にある3km余りの峠道で、東の箱根峠越え、西の鈴鹿越えと並ぶ東海道中の難所として知られてきました。

 

江戸幕府の「東海道伝馬制度」が定められたのは関ケ原の戦いから間もない慶長六年(1601年)のことで、その後「一里塚」なども整備されましたが、この峠道の開通はずっと遅れて明暦元年(1655年)と記録されています。

 

薩埵峠を越える道は、江戸時代には①上の道、②中の道、③下の道の3つのルートがありましたが、明暦元年(1655年)朝鮮通信使のために山腹を切り開いて街道としたのが「②中の道」(現在ルート)です。

この街道は大名行列も通ったので道巾は4メートル以上はあったとのこと。畑の奥にいまも石積みの跡が見られ、そこまでが江戸時代の道路となります。

下の道は峠の突端の海岸沿いの道であり、上の道は峠を下るところより内洞へ抜ける道です。

今のように海岸沿いが通れるようになったのは、安政の大地震(1854年)で地盤が隆起し陸地が生じた結果であるといわれています。

 

何度も歌川広重の作品と見比べました。

 

現在の薩埵峠から、江戸時代と変わらぬ富士山や駿河湾の景観を見下ろします。

 

京から江戸までは約492km、旅人は歩いておよそ2週間かかりました。1日の行程は8里~10里(約32~40km)1日8~10時間歩いていました。

 

駿河湾に浮かぶ帆掛け船は、汽船やタンカーに。下の道の街道は、国道1号(富士由比バイパス)や東名高速道路、JR東海道本線に代わり、多くの車やトラック・電車が行き交っています。

明暦元年(1655年)から369年の時を経て、人や馬・駕籠とは違い、ものすごいスピードで車が駆け抜けていきます。

下界に広がる文明の進化を感じ取りながら、鳥のさえずりを聞き、そよ風に吹かれます。

車が途切れて静けさが訪れると、一瞬ときが止まったかのような錯覚に陥ります。

 

当時の旅人も、この地で鳥のさえずりを聞き、そよ風に吹かれ、富士山や駿河湾を眺め、

旅人同士で今晩泊まる宿場町のことや行き先のこと、目的地で会う人のこと、成し遂げようとしていること、人生の色々なことを思い浮かべ、語り合い、ひとときの休憩を過ごしたのかなと思います。

1日で移動できるスピードや入手できる情報量は大きく変わりましたが、人の想いやかたちは変わらないのかな。

 


■東海道五十三次

東海道は、江戸の「日本橋」から京の「三条大橋」に至る道です。その距離は約492kmにもなります。

武蔵、相模、伊豆、駿河、遠江、三河、尾張、伊賀、近江、山城の国々を通り、53の宿場がありました。

江戸から京まで荷物を運ぶ場合、53回の乗り継ぎをすることになります。そのため俗に五十三次と呼ばれるようになりました。

 

■東海道伝馬制度

東海道にはおよそ2~3里(約8~12km前後)ごとに宿場が設置されました。

伝馬とは江戸幕府の公用をこなすために宿場で馬を乗り継ぐ、その馬のことをいいます。

幕府は各宿場に馬100匹と人足100人を毎日用意させました。そして伝馬朱印状を持つ公用の書状や荷物を出発地から目的地まで同じ人や馬が運ぶのではなく、宿場ごとに人や馬を交替して運ぶ伝馬制を採用しました。現在の郵便制度に近い仕組みを設けていました。

 

■一里塚

江戸幕府は街道の整備に伴い、慶長九年(1604年)に全国の街道に「一里塚」を築く命令を出しました。江戸の日本橋を起点に、街道の両脇に1里(約3.927km)ごとに塚を築きました。榎(えのき)や松(まつ)の木が植えられ、旅人のための里程標や乗物賃の支払いの目安とされました。

 


■江戸の日本橋


■東海道五十三次の宿場

 

1.品川(しながわ)

2.川崎(かわさき)

3.神奈川(かながわ)

4.保土ヶ谷(ほどがや)

5.戸塚(とつか)

6.藤澤(ふじさわ)

7.平塚(ひらつか)

8.大磯(おおいそ)

9.小田原(おだわら)

10.箱根(はこね)

11.三島(みしま)

12.沼津(ぬまづ)

13.原(はら)

14.吉原(よしわら)

15.蒲原(かんばら)

16.由比(ゆい)

17.興津(おきつ)

18.江尻(えじり)

19.府中(ふちゅう)

20.丸子(まりこ)

21.岡部(おかべ)

22.藤枝(ふじえだ)

23.嶋田(しまだ)

24.金谷(かなや)

25.日坂(にっさか)

26.掛川(かけがわ)

27.袋井(ふくろい)

28.見附(みつけ)

29.濱松(はままつ)

30.舞阪(まいさか)

31.新居(あらい)

32.白須賀(しらすか)

33.二川(ふたがわ)

34.吉田(よしだ)

35.御油(ごゆ)

36.赤阪(あかさか)

37.藤川(ふじかわ)

38.岡崎(おかざき)

39.池鯉鮒(ちりゅう)

40.鳴海(なるみ)

41.宮(みや)

42.桑名(くわな)

43.四日市(よっかいち)

44.石薬師(いしやくし)

45.庄野(しょうの)

46.亀山(かめやま)

47.関(せき)

48.阪之下(さかのした)

49.土山(つちやま)

50.水口(みなぐち)

51.石部(いしべ)

52.草津(くさつ)

53.大津(おおつ)


■京の三条大橋


旅のはじまりはモーターサイクル。

 

自由への扉をひらこう。