群馬県の草津温泉と長野県の志賀高原を結ぶ国道292号線は、日本屈指の山岳ドライブルートである。
変化に富んだ景色が楽しめることで、ライダーにとても人気のあるルートだ。
ライダーの愛読書でもある『ツーリングマップ」を眺めていると・・・
万座温泉の西側に位置する「毛無峠」が気になった。
観光コメントには【かつての大鉱山 日本離れした風景が展開】と記されていた。
そして、道路コメントには【峠から群馬側は未舗装 通行禁止】となっていた。
県道112号線(大前須坂線)は、群馬県の嬬恋村大前と長野県の須坂市が結ばれているようだが、毛無峠の南東側では、県道表記の黄色が抜けて白色に変わり、さらにその南側では破線になり、一部の区間が空白地帯になっていた。
この道は何だか謎だなぁ~という感じだ。
かつての大鉱山?という割には、地図には情報が何も記されていない。
謎は深まるばかり・・・
これは自分の目で確かめるしかない!
早速、走りに行った!
国道292号線(志賀草津道路)から県道466号線(上信スカイライン)に入り、万座温泉を通り抜け、万座峠を越え、謎の県道112号線と合流。
草木に覆われた県道112号線を南下していくと、次第に視界がひらけ、その先に荒涼とした景色が広がり始めた。
「毛無峠」に到着!
ここの標高は1823m。季節は7月末。
下界と比べると、とても涼しい。
ヘルメットを脱ぐと、爽やかな風が長野県側から吹き寄せる。
ラジコン飛行機が上昇気流に乗って優雅に飛んでいた。
群馬県側には雄大な景色が広がり、正面には浅間山が見える。
暫しのあいだ、涼みながら360度の景色をじっくりと堪能した。
■毛無峠より南の群馬県側を望む
■毛無峠より北西の長野県側を望む
■毛無峠より西の破風岳(1999m)を望む
■毛無峠より東の毛無山と空中索道を望む
涼みながら、ぐるりと周囲の景色を堪能した。
毛無峠の由来は、草木が少ないという意味なのだろうか?
そして毛無山の中腹にある謎の空中索道の鉄塔跡が気になってきた。
索道の行く先を辿ってみると、群馬県と長野県の両側に跨っている感じだ。
長野県側は何処まで走っているのか分からない。
群馬県側は奇妙な白い砂地まで繋がっているのか?
ツーリングマップルの県道112号線の黄色に着色された道は、砂利深いダートでつづら折れとなり、あの奇妙な白い砂地が終点となっている。
その先に道は見当たらない。
かつての大鉱山とはいったい何処にあるのだろうか?
あの奇妙な白い砂地の辺りなのか?
よく分からない・・・
何の鉱山があったのか?
こんな荒涼とした土地で一体何が採掘できたのだろうか?
■消えた硫黄鉱山とは・・・
調べてみると、この一帯では硫黄が採掘できたようだ。
ここに来るまでに、万座温泉や白根山辺りでも硫黄臭の漂う荒涼とした景色が広がっていた。
しかし何故、毛無峠から南東側は地図から消えてしまったのか?
■雲上のまち 小串鉱山とは・・・
群馬県は嬬恋村、標高1650mの雲の上にひっそりと存在する遺構。
それが、雲上のまち「小串鉱山」だった。
かつて群馬県と長野県の県境にある毛無峠の南東斜面にあった硫黄鉱山である。
国内最大級の硫黄鉱山であった。
1929年より北海道硫黄株式会社によって硫黄採掘を開始。
繁栄を極めた山深いまちは、最盛期には2000人を超える人々が暮らしていた。
1937年11月に「小串鉱山」の背後斜面で突発的な山津波が発生。
崩落の規模は高さ・幅ともに150m、土砂は620mも流れ落ちた。
鉱山事務所、精錬所、配給所、荷造所、小学校、鉱山住宅が土砂の下敷きとなり、245人の尊い命が奪われた。
約4か月後の1938年3月に操業が再開。硫黄の採掘が続けられた。
その後、石炭から石油へエネルギーシフトがおこると、硫黄は精製の過程で得られるようになり硫黄鉱山の役目は終了となった。
1971年に閉山を迎える間、42年間に渡って人々の生活が刻まれた遺構となる。
・空中索道の鉄塔跡
長野県側は麓の上高井郡高山村まで、群馬県側は雲上のまち 「小串鉱山」に繋がっていたようだ。採掘した硫黄製品は小串鉱山から長野方面へ、麓からは小串鉱山へ生活物資を搬送していたようだ。
・毛無峠の由来
近くにある破風岳の名が示す通り、よく強い風の吹く場所となる。
この一帯は亜高山帯(偽高山帯)であり、強風・多雪・急峻な地形・土壌鉱物(硫黄)の影響などで、もともと樹木や草が少ないのが特徴のようだ。
散策のあとは、近くのキャンプ場で宿泊します。
旅のはじまりはモーターサイクル。
自由への扉をひらこう。