チャンピオンマシンのカラーリングを身にまとった、熱き2台がストリートに登場!
これは、いまから30年も前の話し・・・
1993年にケビン・シュワンツがWGPチャンピオンを獲得した記念として、翌年の1994年にSUZUKIから「SEPIA ZZ」と「RGV250Γ」の2車種に特別カラーを施したラッキーストライク仕様が発売されました。
・SEPIA ZZ:限定3000台(メーカー希望小売価格¥165,000)
・RGV250Γ(VJ22A型):限定240台(メーカー希望小売価格¥625,000)
・SEPIA ZZ
このスクーターの読み方は「セピア ジーツー」
セピア・・・
そのネーミング通り、思わず昔を懐かしんでしまいます。大学生のとき、同じマンションに住んでいた友人にセピア(ノーマル)を借りていました。
当時のカタログの謳い文句は・・・
●ラッキーストライクカラーを纏ったエアロフォルム
●精悍なイエローヘッドライト
●スポーツマインドを象徴する、リアスポイラー一体型ハイマウントストップランプ
●クラス最強7.2馬力を発揮
●パワフルエンジン+チャンバータイプマフラー
●フロントディスクブレーキ&フロントボトムリンクサス、そして偏平チューブレスタイヤを採用した高度な足まわり
いま見ても、惚れ惚れするくらいカッコ良いスタイルです!
・RGV250Γ(VJ22A型)
1994年で大好評だったラッキーストライクカラーは再設定されることになり、1996年4月にも240台が限定発売されました。
1996年登場のRGV-Γ250SP(VJ23A型)は、2ストレプリカ最終モデルとなりました。
水冷2ストV型2気筒エンジンは挟み角90°から70°へ変更、乾式クラッチやカセットミッションが標準化。スタンダードとSP仕様が統一となりました。そして惜しくも1999年に生産終了となりました。ラッキーストライク仕様は、延べ3回(1991年,1994年,1996年)にわたって採用されたことになります。
私が中型免許を取って初めて購入したバイクは、1993年に登場したRGV250Γ(VJ22A型)青/白グラフィックカラーでした。
93年モデルからは国内自主規制に合わせて、最高出力が45PSから40PSに絞られましたが、初心者に5PSの差など分かる筈もなく、嬉しくて毎日走らせていました。
2ストレプリカ全盛期の中で、HONDAのNSRやYAMAHAのTZRではなくSUZUKIのRGVを選んだのは、ケビン・シュワンツのファンだったから。彼のニックネームはフライング・テキサン、アメリカはテキサスの出身です。
スズキのライダーでワークスマシンであるRGV-ΓでWGP(ロードレース世界選手権)を戦いました。活動期間はとても短く1986年~1995年、優勝かリタイアかという全くリスクを厭わない激しい走りに魅了されました。
1993年に「無冠の帝王」の称号を返上し、念願のロードレース世界選手権500ccチャンピオンを獲得しました。翌年にゼッケンは1番になりましたが、中央には小さな数字で34番が記されていました。88年から94年までのWGPフル参戦の間、王者獲得はたったの1回のみでしたが、記録以上にシュワンツの熱い走りは記憶に焼き付いています。
シュワンツが長年愛したゼッケン34番はFIMで永久欠番となっています。
というわけで、
93年にRGV250Γを購入し、ヘルメットもシュワンツモデルを購入しました。
そして、その翌年の94年に、な、な、何と、ラッキーストライク仕様のRGV250Γが出たではありませんか!
たったの1年違いで~ 悔しいやら・・・羨ましいやら・・・
自家塗装でラッキーストライク仕様にしてやるぞ~ と意気込みましたが、容易にカラーリングを変更することも出来ず、時は流れました。
その後、94年に高速道路を走行中にピストンが焼き付き&抱き付きを起こし、エンジンブローとなりました。ブローの原因は最高速UPのために入れたリミッターカットのCDIだったようです。
SUZUKIに直接持ち込んでエンジンをオーバーホールしてもらい無事に復活しましたが、暫くしてから4スト400㏄(YAMAHA FZR400RR-SP)の話しが舞い込んできたので、結局4ストに浮気してしまいました。4スト400ccの最高出力は53PS、何よりもSP仕様が欲しかったのだ!
バイクはYAMAHAにチェンジしましたが、ヘルメットはシュワンツレプリカのままでした。
そんなシュワンツレプリカも社会人になり、大型バイクに乗り換えてからは、被ることもなくなり手放してしまいました。
いま思えば、モッタイナイ・・・
ラッキーストライク仕様に憧れながらも、30年の歳月が流れて・・・
昨年、衝撃のニュースが飛び込んできました!
「2025年問題」
って何の話だ?
2025年11月「二輪車排出ガス規制」の強化により、50㏄(原付1種)が生産終了!
またもや排ガス規制だ。
高校生の頃から愛して止まない、原チャリが消滅してしまうなんて・・・
悲しすぎます・・・
思い返せば、原チャリはずっと「排ガス規制」と戦い続けてきました。
この世界から存在が消えてしまうことが分かると、何故だか無性に?愛おしくなってきます。
50㏄スクーターの中でも一番好きなエンジンは、やっぱり2ストロークです。
その中でもファイナルエディションに相当するクラス最強の7.2馬力がベストだなぁ~
そんなタイミングで、大好きなレーサー「ケビン・シュワンツ」のヘルメット復刻版が発売されました。アライが彼の偉業を称え、WGPチャンピオン30周年モデルとしてRX-7X SCHWANTZ 30th(ラッキーストライク時代のカラーリングをベースにブラッシュアップ)を発売しました!
RX-7シリーズか~ 懐かしいな~ このデザインめっちゃカッコ良いなぁ~と思いながら、30周年という節目にラッキーストライク仕様に想いを馳せました。
ラッキーストライクカラーのRGV-Γ250SP(VJ23A型)は、現在オークションで230万円と途轍もないプレミアム価格が付いています。当時の新車販売価格は77万円でしたから、中古車とはいえ約3倍の価格帯です。
ロスマンズカラーのNSR250R SPはバイクショップで300万円で展示されているのを見ました。驚きの価格です!
そんな中、偶然見つけてしまいました。
何と、セピアZZのラッキーストライク仕様!
これは何かのご縁だと思い、ポチっと即決しました。。。
<SEPIA ZZの主要諸元>
・エンジン:2サイクル・空冷
・総排気量:0.049L
・内径×行程:41.0×37.4mm
・圧縮比:6.9
・最高出力:7.2PS/7000rpm
・最大トルク:0.76kg・m/6500rpm
すぐさまナンバーを取得し、保険の手続きを済ませ、公道走行可能にしました。
ワクワクしながら
キックスタートでエンジンを始動させます。
4ストと比べると何とキックが軽いこと!
キックペダルを踏みこむと、懐かしい感触が足裏から伝わってきます。
エンジンに火が入るとパラパラパンパンと2スト特有の軽いエキゾーストと共に白煙がチャンバーからモクモクとあがってきます。
懐かしい匂いと共に青春時代の記憶が蘇ってきます。
よーし、走りはどうだ~
アクセルを開け始めると、まだエンジンが冷えているのか?最初はカブり気味でもたつきます。
あぁ~ このカブる感覚も懐かしい~
チャンバー内に排ガスが溜まり始めると、ヴァーとトルクが立ち上がって、元気モリモリになってきます。2スト特有のパワーの出方に感動!
アクセルを戻すと、パランパランと軽やかなエキゾーストが後方で響きます。
エンジンも暖まってきたので、さあ全開で行くぞ~ フルスロットル!
ん? あれ?
こんなんだっけ??
おかしいなぁ~ 軽くアクセルウィリーするかと思ったんだけど・・・
一旦スロットルを緩めて、低速域→中速域→高速域までのアクセルのツキを確認してみます。
谷間も無く、きれいに吹け上がっています。
ん~ 7.2馬力ってこんな感じだっけ・・・
どうやら30年という歳月は、昔の思い出を美化し過ぎていたようです。
10代の頃、中型免許を取るまでは、最高出力7.2馬力がMAXの世界でした。
だからこそ、更なるパワーと最高速とロマンを求めて、社外チャンバーを入れてパワーUPさせていました。社外チャンバーを組むと低速域がスカスカになるので、ウエイトローラーを組み替えて低速域を補正したり、高速域を補正するためにキャブレターのリセッティング(メインジェットの交換など)もやりました。
パワーが出るようになったら、駆動系も見直してハイスピードプーリーを組んだりもしたなぁ~
CDIも交換して、120kmスピードメーターも入れて、ブレーキ・足まわりも交換してと・・・
懐かしい思い出が、エキゾーストと共に次々と思い出されます。
50ccの2ストは、初めてバイクを学んだ教科書でもあります。
いまのトレンドは如何にオリジナルの魅力を保てるかどうか。
原チャリは自分の原点なので、大切に動態保存しようと思います。
■ケビン・シュワンツ(kevin Schwants)
1964年6月19日生まれ
アメリカ、テキサス州ヒューストン出身のオートバイ・ロードレースライダー
<ロードレース世界選手権 500㏄クラス>
・活動期間:1988年~1995年(8シーズン)
・チーム:スズキ
・レース数:105回
・チャンピオン:1回(1993年)
・優勝回数:25回
・表彰台回数:51回
「最高速で7km/h落ち以内なら、あとはオレがなんとかする」
そういって、レイトブレーキでライバルのインを差し抜き去っていった。
彼は優れたバランス感覚で異次元のマシンコントロールをしていたのだ。
テストライダーが驚いたのは、シュワンツのブレーキがまったく利かなかったこと。あの鋭い突っ込みを実現するには、さぞかし強力なブレーキかと思っていたら、実は真逆だったという。
シュワンツがこだわったのは、かけたブレーキをゆっくり着実にリリースしていくこと。
コーナー入口ではリアタイヤが浮き上がるまでブレーキング。そのまま軽くブレーキを引きずりながらコーナーに進入。タイヤと路面の接地面を微妙にコントロールし、前後のタイヤをスライドさせながら、その抵抗で減速し、向きを変えるというダートトラックの走り方をGPマシンでもやってのけた。フロントブレーキは突っ込みのバランスを取るための道具であった。
まさにブレーキングの魔術師といえる。
長い手足を折りたたみながらRGV-Γを泳がせるように走らせたシュワンツの姿は、生涯忘れることはないでしょう。
旅のはじまりはモーターサイクル。
自由への扉をひらこう。